先生は離島で働いたことがあるんですか?

特大のハンバーグが入った部活の高校生が食べるような昼弁当。それを完食してしまい、不覚にもウトウトしていた私もその声にはっとしました。ステージを見ると、その弁当を開ける前には明るい声で講演を始めていた女性演者の表情がこわばっていました。

 

2023年8月5日のことです。福岡ドームで開催された循環器関連の学会のシンポジウム。医師の働き方改革がテーマでした。最初に登壇したのは福島県医大の医師でした。福島県は全国で3番目の広大な面積を誇りますが(兵庫県の1.6倍)、緊急カテーテル治療ができる病院は限られており、それぞれの病院の勤務医師数も少ない現状があります。働き方改革を進めようとして治療拠点の集約化をはかると、今度は緊急時のアクセスで問題となる空白地域ができるという発表でした。大きな問題です。次は滋賀医大の医師でした。大学には年間の超過勤務時間が2000時間を越えるスーパードクターが数人いるという話でした。すごい人がいるものです。そして最後が冒頭の女性、厚労省の医系技官でした。医師の働き方改革を推進する行政の立場に沿った内容でした。医師の働き方の目指すところ、そしてそれが実現すれば医療は効率化され、メディカル・コメディカルの仕事の棲み分けが理想的なものに変化していくという明るい未来が語られていました。5月に開催された整形外科関連の学会でのシンポジウムでも講演をされ、好評だったそうです。しかし今回は同じ展開にはなりませんでした。場所もタイミングも悪すぎました。

 

1週間前の7月28日、この学会は「医師の働き方改革循環器救急診療の両立は不可能」と断じ、今後の循環器診療の在り方に関する提言を発表していたのです。我が国の急性心筋梗塞の死亡率は世界で最も低いレベルにあるのですが、その要因として緊急カテーテル治療を中心とした循環器救急診療体制が全国津々浦々に構築されていることがあります。しかし、この学会が2023年春に行った調査では、働き方改革が導入されるとスタッフが確保できず救急診療の縮小を迫られる施設が多く生じ、結果として福島県の先生の発表にあったような循環器救急診療の崩壊が危惧されることが明らかとなりました。多くの病院で働き方改革への対応が遅れている現状も報告されました。調査の結果を踏まえ学会では働き方改革の周知徹底に加え、施設集約化や輪番制の推進、病院管理者に対する循環器医の処遇改善のための働きかけ、そして循環器救急診療の維持が不可能となる地域に居住する住民への公示を提言していたのです。この提言の最後の部分は衝撃的です。特定の地域において、標準的な急性心筋梗塞治療を受けられないことを住民に告知するというものです。住民はあきらめて地域に居住を続けるか、そこから疎開するか選択するということなのです。

シンポジウム後半の討論には冒頭の3人の演者に加え、一人医師体制で循環器内科を支え緊急カテーテル治療も行っている地域の病院医師が参加していました。徳之島と長崎県郡部の病院でした。これまでもこの2つの地域では医師が出張等で留守にすると緊急カテーテル治療は不可能となっていました。加えて来年の4月からは28時間の連続勤務時間制限や9時間の勤務間インターバル、オンコール呼び出しに対して代償休息の付与が義務付けられます。病院管理者が法令を遵守した場合、徳之島では自衛隊やドクターヘリでの島外への搬送、長崎では片道一車線の一般道経由で1時間以上かかる救急搬送となるのです。『先生は離島で働いたことがあるのですか!』。そんな白熱した討論の中で放たれた発言でした。全国一律の医師の働き方改革の推進で救急医療の空白地帯が拡がろうとしている現状。感情の入った発言でしたがやむにやまれぬものであり、学会提言の趣旨からも外れたものではないように思えました。

『神の見えざる手』という言葉があります。経済学で市場において各個人の利己的な行動の集積が社会全体の利益をもたらすという自律的な調整機能のことです。私がここで言う利己的な行動とは、循環器救急に携わる医師の一人ひとりが治療を通じて、プロフェショナルとしての自己効力感の獲得を目指す行動のことを指します。地域の循環器救急医療はこの『神の見えざる手』で守られてきたのです。特に過疎地で地域住民の期待に応え崇高な使命感を持って働く医療者の幸不幸は、単に労働時間の長短で推しはかることはできません。

 

離島での勤務経験はなくても、耳を澄まし目を凝らせば、今後どういうことが起きるか想像することは可能です。行政に身を置く方々はその職位が高位であるほど、その判断が社会に及ぼす影響は大きいのです。関係者の努力で築かれた世界に誇る日本の循環器救急医療を守っていただきたいと思うのです。

 

阪神淡路大震災から25年を迎えるにあたり思うこと

皆様新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。さて、昨年は台風による災害の多い年でした。さいわい近畿地方には大きな被害はありませんでしたが、関東、東北には2つの巨大台風がおおきな爪痕を残しました。その中で、阪神淡路大震災を経験した神戸市民の一人として気になった出来事がありました。

神奈川県の山北町で10月13日未明、台風19号で取水施設がダウンし約2500世帯が断水した。町が自衛隊に連絡すると、早速、御殿場の駐屯地から3トンの水を積んだ給水車が到着した。ところが、県は「公共性、緊急性、非代替性の3要件を満たしていない」と給水を認めなかった。自衛隊はそのまま帰っていった。ざっとそんな内容です。この件は災害時における自衛隊の初動には大きな制約があることを改めて浮き彫りにしました。

さて阪神淡路大震災のときの話です。

震災当時、加藤武彦という方が海上自衛隊呉地方総監を勤めておられました。震災当日6時3分、海上自衛隊阪神基地から呉にかかってきた一本の電話。「大地震が発生致しました。部隊はほぼ全滅です。在隊員には異状はありません。指揮官は只今徒歩で登庁中であります。岸壁が崩れて海水が浸入してきています。その他施設の被害は甚大でありますが詳細は判りません」

この電話で、加藤総監は直ちに命令を下しました。自衛隊法に規定された県知事の災害派遣の要請を待つことなく、自分の判断で呉にいた艦艇に出動を命じたのです。さすがにこれには部下も驚きました。ナンバー2の防衛部長がとんできて、「総監、部隊を出されるのですね」「もう一度伺いますが、出されるのですね、県知事からの要請はないのですよ」と念押しまでされたそうです。しかし総監を翻意させることは出来ませんでした。呉から大阪湾まで艦艇で10時間余かかるのですが、総監のこの決断により、震災当夜には、呉を出港したすべての艦艇が神戸沖に投錨を終えました。やがて佐賀や横須賀からの艦艇も合流し、翌日の夜明けには輸送艦護衛艦が神戸沖に集結していました。

震災の翌朝、私を含め多くの市民は海など眺めている余裕はなかったと思いますが、中にその様子を目撃した方もいました。

「次の日の朝を六申中腹の自宅で迎えました。ガス・水道が一斉に止まった中で一睡も出来ず、長田地区方面に上がった火の手をただ呆然と眺めていました。度々繰返される余震におののきながら、これからどうすれば良いのか考える気力も無くただ茫然自失の状態だったのです。夜が明けるにつれ神戸の港が見える様になってきました。すると壊れた港湾施設の彼方に見慣れない光景が浮んできたのです。それらは自衛艦でした。それも1隻や2隻ではなく、大小取り混ぜて10数隻の艦隊が見えたのです。思わず胸にじんと来るものがありました。
よし、助かるぞ。その瞬間、国家が我々に差伸べている救いの手がはっきりと見えたのです。そして私はとにかく仕事場に向かおうと決心しました。何故かそういった意欲が自然と湧いて来たのです」。

これは当時東灘区住んでいた人が、後日雑誌に投稿した内容です。

1月18日早朝、加藤氏の命令で260名余の部隊が神戸港に上陸し、姫路から派遣された陸上自衛隊の指揮下に入り、この混成部隊が8名の市民を瓦礫の下から救出したのです。県の要請を待っていたらこの8名の方を救命することはできなかったと述懐されています。要員を陸上自衛隊の指揮下に入れたことが、のちに海上自衛隊の内部で大問題となりましたが、加藤が処分されることはありませんでした。

今回の山北町の件では町長、そしてその要請に応じて給水車を派遣した御殿場の自衛隊のとった行動は自衛隊法に定める災害派遣の要件を逸脱した行為でした。神奈川県は自衛隊の給水を認めませんでした。

災害対策基本法第三条には国の責務として、『国は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護する使命を有することにかんがみ、組織及び機能のすべてをあげて防災に関し万全の措置を講ずる責務を有する。』とあります。第四条にある都道府県の責務も同様です。法の精神に則り、大規模災害に際して自衛隊の速やかな初動を支える枠組みができるはいったいいつのことでしょうか?阪神淡路大震災から25年を迎えるにあたり、あらためて考えさせられました。

最後になりますが、令和2年が災害もなく平和であり、皆様にとりまして輝かしい飛躍の年となることをお祈りいたします。

2017年新年のあいさつ

イメージ 1


ある団体の会報に投稿した新年の挨拶です。
TheJapanese medical care system is maintained by the Saint-like self-sacrifice of medical workers.』  
平成29年新春を迎えるにあたり、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
私は日常診療の傍ら、20年以上にわたりこの看護専門学校で非常勤講師をつとめてまいりました。駆け出しの頃は、当時の学校長の命により、耳鼻科や眼科、そして皮膚科も担当したこともありましたが、現在は自分の専門である循環器を担当しております。


さて昨年、暮れも押し詰まった頃の事です。いつものように循環器の講義を終えて教室から出ていこうとすると、教壇に一人の学生が駆け寄ってきました。その日の授業で取り上げた症例についてでした。2年前の冬。50歳代の男性が午後6時過ぎ、仕事を終えて帰宅途中、列車内で突然倒れたのです。近くにいた乗客の通報により、列車は最寄りのJRの駅で緊急停車。男性はホームに担ぎ出され、同じ車両に乗り合わせていた看護師の方により心肺停止が確認され、すぐに心肺蘇生が開始されました。その後、ホームに設置してある半自動除細動装置を装着。10分に及ぶ心肺蘇生の間、装置が7回作動し、心拍が再開して救急搬送されました。当院入院後は人工呼吸管理下に低体温療法を施行しました。その後、意識は回復し神経学的な異常所見もなく元気に歩いて退院。原疾患は拡張型心筋症、心電図所見はQT延長。

ざっと、このような内容でした。たしかに多くの学生の興味を引いたようでした。たぶん質問もあるのでしょう。ところが教壇に駆け寄ってきたこの学生。2年前、同じ列車に乗り合わせていたと言うのです。実は列車には医師を含む多数の医療関係者が乗っていて、ホーム上では救急室さながらの救命処置が行われていたとのことでした。当時は看護学生でもなかったため、為す術もなく他の乗客ともに遠巻きに様子を見ていたと言うのです。初めて見る心肺蘇生の光景。やがて男性は到着した救急車に収容され運ばれていくのですが、その後どうなったのか気になっていたそうです。『あの方が元気に退院できたことを今日知ってとても安心しました。』と言い残し、短くなった休み時間を過ごしに教室から出ていきました。

私は講師室に戻りました。看護師を目指すその学生の記憶の片隅にあった未完のエピソード。それが時を超え場所を変え、最後の1片が揃ったジグゾーパズルのように完結したことに安堵しました。またこの学校で、このような学生に指導できることに心から感謝いたしました。

さて冒頭の言葉The Japanese medical care system ismaintained by the Saint-like self-sacrifice of medical workers.』ですが、これヒラリー・クリントンさんが上院議員時代に世界の医療制度についての調査の一環で、2007年に来日し医療機関を見学された後に出されたコメントです。クリントン氏は予備選挙オバマ氏に敗退し、国務長官として大統領となったオバマ氏を支えることになるわけです。その後のオバマ政権はいわゆるオバマケアと呼ばれる医療保険制度の大改革を行い、2014年からその運用が始まりました。どのような方がクリントン氏を案内されたかは知りませんが、短期間の見学で日本の医療制度について的確な感想を披露されたことは、当時かなり話題となったようです。
10年が過ぎました。依然、医師、看護師不足は解消されたとは言えず、中小民間病院を中心にマンパワーの確保は未だに大きな課題です。
病院が診療や看護、さらに医療全般のサービスにおいてさらなる高みを目指すためには、優秀な人材の確保が不可欠です。看護に対する高いモチベーションに裏付けられた高度な知識・技能をもった人材を育成することにより、地域医療に貢献していくことが当校に課せられた社会的使命であります。皆様方のご理解、ご支援を願ってやみません。
本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
 

百年マラソン

イメージ 1

ブレジネフ書記長:大統領閣下、我がKGBからの情報によると貴国は最近西暦2000年の出来事を予測できるスーパーコンピュータを開発されたそうですね。
ニクソン大統領:確かに、われわれはそのようなコンピュータを持っています。
ブレジネフ書記長:大統領閣下、それではそのコンピュータが予測した西暦2000年のソビエト政治局のメンバーの名前を教えてもらえませんか?
ニクソン大統領はしばし沈黙
ブレジネフ書記長:ああ、貴国のコンピュータはそこまで高性能ではないのですね?
ニクソン大統領:いいえ、書記長違います。答えは出ているのですが、読めないのです。
ブレジネフ書記長:どうしてですか?
ニクソン大統領:中国語だからです。
 
この一節はハドソン研究所中国戦略研究所所長であるピルズベリー氏の最近の著書「The Hundred-year Marathon, China’s secret strategy to replaceAmerica as the global superpower; Henry Holt and Company 2015」冒頭の章に紹介された旧ソビエトの外交官が著者に語ったジョークです。100年マラソンと題するこの本の内容は中国版「国家100年の計」の考察です。日本語版が出ていないので、辞書を引きながら読みました。

ソビエトは同じ共産主義でありながら、1949年に建国した現在の中華人民共和国の100年の計、その本質にある国家的野望に早い段階で気づき警戒を始めました。そして1969年当時にソビエトの国連本部の職員が、同じく国連本部に務めていた著者にこんなジョークを披露したのです。しかし当時、西側の外交専門家はむしろソビエトの脅威の方を重視していたこともあり、著者を含めて中国の真の意図を見誤り、中国の国家の意図を自分の都合の良いように解釈していました。その誤った判断は以下の5つの点にあります。
1.国家間の関係を深めることで中国との協力関係が築けると考えていた。(Engagement brings complete cooperation)
2.中国は徐々に民主化されると考えていた。(China is on the road to democracy)
3.中国には問題が山積しており、援助を必要とするか弱い国家と考えていた。(China, the fragile flower)
4.中国は我々と同じような国家を目指していると考えていた。(China wants to be – and is – just like us)
5.中国政府内のタカ派の影響力は弱いと考えていた。(China’s hawks are weak)


著者は現実にアメリカの政権中枢でニクソンキッシンジャーに仕えた1969年から10年間、中国に対して経済発展とともに科学技術、軍事分野での援助の必要性を唱えていたそうです。その後、秘密文書の開示、亡命者の証言、中国のタカ派の軍幹部などのインタビューを通じて、それが誤りであった事が明らかになったのです。中国では1840年のアヘン戦争に始まるCentury of humiliation (百年国恥)第二次世界大戦の終了まで続きました。1949年に中華人民共和国が建国を迎えました。そして100年先の2049年に向けて、かつてアメリカがイギリスにとって変わったように、アメリカに変わる覇権国家になることを目指しているのです。


北京オリンピックごろまでは、鄧小平が唱えていたように韜光養晦(Keeping a low profile )に表される外交政策をとっていました。しかし1993年には中国の李鵬首相がオーストラリアのキーティング首相に「日本などという国は20年後には消えてなくなる」といったと伝えられており、さらに習近平主席が本年5月に人民大会堂でケリー国務長官と会談し「すでに何度も言ってきたことだが、広大な太平洋には中米二つの大国を受け入れる十分な空間がある」と語ったと報道されています。現在の米中の軍事分野での格差を考えると一見荒唐無稽な話にも聞こえます。しかし著者は、覇権国家へのプロセスは決して軍事力だけで決まるのではなく中国もそのことをよく理解していると述べています。軍備拡張に注力したためにソビエトの崩壊が早まった事実を中国は間近に見て学習していると述べているのです。


この著書で軍事的な問題はあまり触れおらず、むしろ政治経済の問題を取り上げています。現在、フォーブス誌の世界上位500社のうち、すでに90社が中国であり、その多くが国営企業であります。中国政府機関は自由貿易のルールを無視し、不正に入手した海外企業の機密情報を傘下の国営企業に提供することによってその競争力を高めていると警告しています。現在、南シナ海で起きていること、また我が国との関係で言えば、尖閣諸島問題、東シナ海ガス田開発問題、そして歴史問題と中国との関係はますます混迷を深めているように思います。現在、我が国は安全保障、エネルギーで国論を2分するような重要な問題を抱えています。私はこの本を読み終えた今、この本が予測するような結末にならないことを祈りたいと思います。


最後に毛沢東主席がかつて愛読したと伝えられており、英語版(The General Mirror for the Aid of Government)も出版されている本の中で、著者が最も中国の考えを体現しているという一節で稿を終えたいと思います。
There cannot be two suns in the sky.

真実の瞬間

イメージ 1


新年早々、講演をしてきました。

真実の瞬間-『この航空会社が最良の選択であった』と感じるとき

ルーディー・ピーターソンはストックホルムのグランドホテルに滞在しているアメリカ人ビジネスマンだ。ある日、同僚とスカンジナビア航空コペンハーゲンに行くために、ホテルからストックホルム北部のアーランダ空港に向かった。日程は一日だけだが、重要な商用旅行だった。空港についてホテルに航空券を忘れてきたことに気づいた。オーバーを着るとき机の上において、そのまま出てきたのだ。航空券がなくては飛行機に乗れない。ピーターソンは、その便に乗ることも、コペンハーゲンでのビジネス会議出席もあきらめた。しかし、航空券係に事情を説明すると、意外なことにうれしい返事がかえってきた。「心配はいりません。ピーターソン様。搭乗カードをお渡しします。仮発行の航空券も添えておきます。グランドホテルのお部屋の番号とコペンハーゲンの連絡先さえお教えいただければ、あとはこちらで処理いたしましょう」。係員の顔には微笑みが浮かんでいた。ピーターソンが連れといっしょに待合室で待っている間に、係員がホテルに電話をかける。ホテルのボーイが机の上にある航空券をみつける。係員はすぐに自社のリムジンをホテルに回して、航空券を持ってきてもらうように手配した。てきぱきと事が運んだので、コペンハーゲン便の出発前の航空券が手元に届いた。スチュワーデスがやってきて「ピーターソン様、航空券でございます」とおだやかな声で言うのを聞いて、誰よりも驚いたのはピーターソンだった・・・『真実の瞬間』 ヤン・カールソン著、堤猶二訳ダイヤモンド社1990年刊
 
皆さんの中には、よく飛行機で国内、海外に行かれる方も多いと思います。私も以前は年に一回ぐらい飛行機を利用するくらいでしたが、最近は出張や旅行などで飛行機を使う機会が多くなりました。私は日本航空をよく利用しています。残念ながら日本航空2008年の世界金融危機を発端に経営破綻しましたが、その後は稲盛会長の下経営改善が進みました。そのサービスは他の航空会社と比べるととても良いので、私はとても満足して利用しています。
このような航空会社の急速な業績回復の例としては1980年初頭のスカンジナビア航空の例が有名です。冒頭の一節は業績を回復したスカンジナビア航空で1980年代に実際におきた話です。このスカンジナビア航空も1970年代後半に始まった欧米の航空業界の規制緩和の波に乗り遅れて、3000万ドルの累積赤字を記録し会社の存亡の危機に瀕していました。
当然、職員の士気も低下し、顧客サービスの質も他社と比較して立ち遅れたものになっていました。そこで、スカンジナビア航空の関連会社の社長をつとめていたヤン・カールソンが38歳の若さで本社社長として就任、大改革を断行し、その結果、業績が急回復して5年後にはエアトランスポートワールドという雑誌で年間最優秀航空会社として表彰されるまでに至りました。その間、社長が一番力を入れたのは、ビジネス客の取り込みと最前線で働く職員への大胆な権限の委譲、そして結果としての顧客サービスの質の向上でした。社内調査の結果、年間1000万人が利用するこの航空会社で、乗客は一回の搭乗で平均15秒間5回、職員と接することがわかりました。カールソンさんはその瞬間を『真実の瞬間』と名づけ、これこそがスカンジナビア航空の成功を左右すると訴えました。そしてこの瞬間に従業員は顧客に『この航空会社が最良の選択であった』と納得させる必要があると説きました。この取り組みにより、スカンジナビア航空の評価は高まりその後連続して最優秀の受賞をしたのです。
1982年9月20日、社会民主党が6年ぶりに政権を奪回した翌朝、ストックホルムコペンハーゲン早朝便の機長はマイクを取ると、「搭乗の同志たちに朝の挨拶を送ります」と切り出して、ビジネス客で満席の機内に政治ジョークを飛ばしました。また、別の便では一人の好奇心の強いエコノミークラスの乗客が、ファーストクラスの客室をのぞいていたことがありました。それを見たパーサーは、その乗客をファーストクラスの客室に招き入れて案内してまわり、それからコックピットも見学させて飲み物をサービスしました。現場職員に責任を委譲した結果、職員が以前から望んでいたにも関わらず、融通のきかない会社の規定のために出来なかった乗客サービスが出来るようになり、このようなひとつひとつの真実の瞬間の積み重ねによって、スカンジナビア航空は再建を果たしたのでした。
最後に、この本の日本語訳をされた西武の堤猶二氏の言葉で稿を終えたいと思います。
・・・どんなに優れたリーダーによって企業のビジョンが示され戦略が作られても、毎日多くの最前線の従業員によって顧客に質の良いサービスが確実に提供されなければ企業の成功はない。第一線の従業員の質のコントロールと『顧客を満足させたい』という意欲なくしては、グローバル戦略も偉大なビジョンも張り子のトラでしかないのである。・・・

あなたが火花散る一瞬はいつですか?その2

イメージ 1
 
スターバックスのミッションステートメントは『人々の心を豊かで活力のあるものにするために。』だそうです。
 
そして具体的な6つのミッションがあります。
   お互いに尊敬と威厳をもって接し、働きやすい環境をつくる
   事業運営上での不可欠な要素として多様性を受け入れる
   コーヒーの調達や焙煎、新鮮なコーヒーの販売において、常に最高級のレベルを目指す
   顧客が心から満足するサービスを常に提供する
   地域社会や環境保護に積極的に貢献する
  将来の繁栄には利益性が不可欠であることを認識する
 
でも、このミッションは別に驚くに当たりません。はっきり言って、月並みです。これではスタバの秘密はわかりません。
 
著者の岩田さん、95年に日産自動車を退職した後に、外資コンサルティング会社、世界的な飲料メーカー、日本のベンチャー企業、日系のおもちゃメーカー、そして化粧品のBODY SHOP、そして2009年スターバックスCEOに就任されたそうです。
30年前に日産自動車に就職した岩田さんが購買管理部技術課に配属され、斜体溶接工場を研修に行きました。その時にまだ塗装されておらずむき出しのまま鈍いグレーの部品が、産業用ロボットに抱えられて、次々の組み合わされて行きます。そこに溶接用のアームが伸びてきて、正確に火花を散らせ、つなぎあわせて自動車のボディーを作っていきます。
 
ぼんやり眺めている岩田さんに、上司は言いました。『この工場で価値を生み出しているのはあの火花が散っている瞬間だけなんだぞ、あとはなんの関係もない。部品の運搬をいかに効率的にやろうが、在庫をかけている時間が何日あろうが、会議で何を話しあおうがそれは本質的にはなにもうみだしていないんだ。あの火花が散っている瞬間だけが、価値を生み出しているんだ』とおっしゃったそうです。日産をやめるまでは、そのことをほとんど意識していなかったのです。でも火花の出ることがない職場に移ってはじめて、この火花が出る瞬間、すなわち企業や組織が本質的に価値生み出している瞬間を意識するようになったそうです。
 
そして、スタバではオーダーを受けて、お金を受け取り、出来上がった最高のコーヒーを自信をもって笑顔でわたす瞬間に火花が散っていると考えられたそうです。
その火花はそれを見ようと意識している人にだけが本質的に価値を生む瞬間がいつなのかをはっきりと見出すことができると考え、スタバでもその教育を徹底したそうです。
 
スターバックススターバックスに似たコーヒーショップがある
しかし、その岩田さんもスターバックスCEOの就任当初は、なぜ、世の中の人はスターバックススターバックスに似たコーヒーショップという分け方をするのかわからなかったそうです。
 
現在、業界ではスターバックスには3つの強みがあると言われています。
 
スタバには接客マニュアルは基本的にない!
やはり、スタバには接客マニュアルがありませんでした。
スターバックスのアルバイトの研修は70時間もあるそうです。研修の教育ではコーヒーの入れ方や基本的な接客はもちろん、このミッションに着いてもかなりの時間話し合われます。そこで『何をありなさい』ではなくて、『なぜそれをやるのか考えなさい』というスタンスをつらぬくのです。これは企業、あるいは企業の作る商品が価値を作り出す瞬間がいつかということを考えることにつながるのだと思います。スタバの教育は、道徳、法律、倫理に反しない限りお客様が喜んでくださることは何でも行うという権限をバイトも含めてすべての人に与えるのです。その成果は、異常発生時に発揮されます。
 
つまずいて転んでコーヒーをこぼした。気がついたら財布を持ってくるのを忘れていた。店の前で交通事故が起きた。
そのようなときにミッションやスターバックスの原理原則、お客さんのためにと思う心、そして自分の思ったとおりに行動するという権限があれば、絶対他の店では真似のできないお客の感動を呼ぶ対応ができるとのです。
2月6日のことも結局ぞれぞれのお店の店員がそれぞれの判断で与えられた権限を行使したそうです。そしそれが夕方にはマスコミに好意的に取り上げられスターバックスのブランドを更に高めたと思います。
 
岩田さんはあるお休みの日、全くのプライベートの時にスターバックスのコーヒーが飲みたくなり、近くの銀座の店に行きました。CEOとしてのオフィシャルな店舗まわりではなく、あくまで一人のお客としてもちろんこちらから名乗ったりはしません。レジを担当していたパートナーは岩田さんに気が付かないようでいたって普通に接客しました。できあがったコーヒーをカウンターで手渡してくれた少し年配の女性のパートナーは岩田さんに商品を渡してくれる際に、さり気なくこういったのです。
『今日はお休みですか?』
笑顔でそして岩田さんにしか聞こえないくらいの大きさで・・
彼女は目の前の客がスターバックスCEOだと気づいている。ひとりだからきっとプライベートなのだろう。その時に年配の女性店員がそっと今日はお休みですかと聞いたのです。
実はその時に岩田さんは、アメリカのスタバを超えたと感じたそうです。
 
きちっとした接客マニュアルがないというのはこういう見事な結果を生むのですね。
 
くつろげる空間を提供する
スタバは他のコーヒーショップよりも居心地良く感じられます。なぜでしょうか? それはスタバは店舗をお客様の 「サードプレイス」とよび、スタバがお客様にとって、家庭や会社の次にある3番目の場所であると位置づけているからです。これは決して、家にも会社にも居所がなくて追い出されたお父さんが行くところいう意味ではないようです。
ひとりでもゆっくりできる空間(話している人が少ない)はここに秘密がありました。ちなみにスターバックスで一番多い苦情は席が満席であるということだそうです。それでもスタバで長居をするお客さんを追い出したりすることは決してないそうです。
 
ITなどの設備が充実している
スタバのお店が改装されると、必ずWifiが可能となり、また座席にコンセントが付けられます。これは、お客さんが快適にスタバで過ごせることを目指しているのです。
皆さんはフェイスブックツイッターで、今どこに来ているとか書かれますよね。SNSなどされていない人からみたら、自分の居場所をみんなに知らせてなにが楽しいのと思われるかもしれません。その中で『スタバなう』という書き込みは『ドトールなう』の10倍以上あるそうです。店舗数はスタバが1000店舗とすこし、ドトールはそれを少し上回っているそうです。それでもSNSの世界ではスターバックスドトールを圧倒しているそうです。これは充実しているITの設備の充実と無縁ではなさそうです。
 
僕はこの本を読んでからも、スタバに足を運んでいます。
確かに、スタバの店員さんが作ったコーヒーを渡すときの視線から、火花が散っているような気がしてきて、なぜか視線を合わせにくくなってきました。
今日は経営者としての先輩諸氏がおられる中で生意気なお話をいたしました。皆さんのお仕事場ではどんな時に火花がでておられるのでしょうか?
また、いろいろとご指導いただきたいと思います。
 
私の話は以上です。ご静聴ありがとうございました
 
おしまい
 

あなたが火花散る一瞬はいつですか?

イメージ 1
 
 
今日は私のスタバでの経験のお話をしたいと思います。
今年の2月6日。寒い朝でした。空は透き通るくらい晴れていました。
僕はいつものようにロードバイクにのって、サイクリングに出かけました。病院から8キロ先の三宮駅近くのスタバです。スタバに着いたら7時15分でした。7時に開店するので、開店後15分位経っていました。朝のスタバは本当にお客さんが少ないです。出勤前のビジネスマンが二人店の隅の席で、コーヒーを飲んでいました。また中年の女性が僕の前でいて、コーヒーができるのを待っていました。
 
カウンターに近づくと、見たことのある清楚な感じの女性の店員さんがいました。いつもたくさんチャージしているスタバカードをサイクルジャージの背中のポケットの財布から取り出し、ホットのスターバックスラテを注文しました。するとその女性店員はとてもすまなそうな表情をするのです。その表情で僕は、スターバックスカードのチャージが足りなくなっているのかと思い、財布のお札を出そうとしました。
 
すると、女性は思いもよらない事を言いました。『レジが2台とも朝から動かないのです』『それで、本日はお客様に無料でコーヒーをお出ししているんです・・・申し訳ございません』。僕はびっくりしました。そして戸惑いました。その時、横で先に注文してコーヒーができるのを待っているお客さんと目があってしまいました。その人は店員さんとは対極とも言えるタイプの女性でした。大柄の人で、押しの強い営業社員と言った感じでしょうか。『そうなのよ、今日はただなのよ』という表情でした。気の弱い僕は何故かその人が『あなたも共犯だよ』と言っているようにも思われました。
僕は思いました。確かにラッキーなことです。しかし、僕は一応常連です。顔も知られています。天気が良ければ、そして早朝に緊急がなければ、また明日ここに来るはずです。なにかお店の事故に乗じてただで商品をいただくことには抵抗感がありました。いつもの4つのテストをしてみました。1.真実か どうか 2.みんなに公平か 3.好意と友情を深めるか 4.みんなのためになるかどうかを検討してみました。真実かどうか、みんなに公平かどうかはわかりませんが、少なくともその清楚な若い女性店員さんとのあいだで好意と友情深めることにはならないことは明白でした。
 
とても重要な問題です。とてつもないスピードで頭のなかのシナプスが発火しました。たしか、財布には小銭もあったはずです。もう一度、財布を開けて、見てみました。ラテは380円です。覚えています。
 
幸い、ちょうど小銭がたくさんありました。財布から380円を出して、ちょうどあるのでと言って渡そうとしました。くだんの女性営業社員は『なんてことするの?』と言った表情で僕をにらんだように思えました。スタバの女性は困ったような表情を浮かべて『いただけません』といわれました。仕方ないので僕はその小銭はカウンターに上において、『たまたま、小銭あったので』といいました。小銭は、ルーレットのテーブルの上に積まれたコインのように、お預けを食らった犬の前においてあるお菓子のように、一瞬行くあてがなくなってしまいました。
 
そして、しばらくして、女性は申し訳無さそうに、開かないレジの脇にそっとおきました。それは受け取るより、仕方なく片付けるといった仕草でした。
 
お金を払い、隣のカウンターでラテを受け取って、外のテーブルに座りコーヒーを飲みました。その後もお客さんが数人店の中に入って行きました。あの人達もカウンターでレジのことを告げられ、人生の小さな選択を迫られているのでしょうか?店をあとにしました。帰り道のサイクリングはなぜかいつもより晴れ晴れとした気になりました。
 
その日は本当に忙しい一日でした。夕方にはそんなことがあったことはすっかり忘れていました。
仕事も一段落して、ニュースをみました。びっくりしました。その日午前、全国のおよそ1000店舗のスターバックスのお店で朝から、システム障害のために会計ができなくなっていたそうです。そのため、お店では三宮磯上店と同じように無料でコーヒーを提供したいたそうです。大変だったんですね。そのあと、疑問がふつふつと湧いてきました。
開店直後の想定外の事故です。スターバックスの店員さん全国の1000店舗で対応をどのようにして決めたのでしょうか。ちなみに僕のいくお店は朝2-3人のアルバイトと思しき店員が働いています。
そんな人が、失礼ですがバイト社員がただでコーヒーを出すことを決めたのでしょうか?
それとも、会計がダウンした時のマニュアルがあって、そのマニュアル通りにこうどうしたのでしょうか?不思議に思いました。しかも全国1000店舗、なかにはマニュアルを忘れている人もいるでしょう。いったい、このコーヒーショップはどうなっているのか。不思議に思いました。
そういえば、それまでもスタバには時々腑に落ちないことがありました。
 
早朝のスタバは、人も少なく特に休みの日などは店員さんも暇そうです。
数年前の夏のある朝、スタバの店内でコーヒーを飲んでいました。お客さんは、僕と外にテラスに若い男性客がいました。たばこを吸っていました。しばらくすると、カウンターにいた店員は外に出ていき、その男性に話しかけました。簡単な挨拶なんでしょうか。ところがその女性は男性の脇にたって、同じように道路の方を見ながら話しているのです。二人は知り合いでしょうか?そんな疑問が湧いてきました。そのあと、次のお客さんが来るまで5分間ぐらいずっとしゃべっていました。女性のエプロンがなければ、とても店員とお客さんの関係には思えない風景でした。付き合っていたのでしょうか今でも謎です。
付き合っていたとしたら、もちろん問題でしょう。もし付き合ってなかったとしても仕事場で持ち場をはなれてお客さんと長々と話し込むなんて、ふつうのファーストフードの店では考えられません。
 
他にもありました。自転車の格好でいくので、どこからきてどこに行くのかとか、寒いとか、暑いとか色々と話しかけられます。たまにスーツ姿で行くと仕事帰りかと、出張に海外にいくのか等、僅かな時間に色々と話しかけられます。また、個人的にチャージしてあるスタバカードをくれる店員さんもいました。そもそも、こんなアバウトな?対応をするお店にマニュアルなんてあるのかと思いました。どんな経営方針なのか不思議になりました。
実際、外食産業の業界ではスターバックスはあまり内部の情報を公開していないそうです。
 
先日三宮のジュンク堂に行ってきました。なにをしに行ったかというと、僕が最近書いた心電図の本の売り場の状況チェックです。隅っこの方に置かれていないか、ホコリを被ったりしていないかチェックをするのです。医学書は5階の広いフロアの一番奥にあります。
エスカレーターを降りて、レジのあるところを抜けて、医学書のあるところに行くのです。その途中に、平積みになっている本が目に止まりました。もちろん僕の本ではありません。
 
ビジネス本です。『ミッション』と題したその本、元スターバックスCEOが教える働く理由という副題がついていました。なんでもスターバックスジャパンのCEO岩田松雄さんという人が書いた本だそうです。手にとってみました。
『あなたが火花散る一瞬はいつか?』で始まるまえがきは20ページに及びました。立ち読みしました。まえがきを読み終えて本を閉じました。ついでに目も閉じました。これまでのスタバでのいろいろな光景がフラッシュバックにようによみがえり、その小さなかけらのようなさまざまな出来事が頭の中で、一本につながりました。こうなると自分の心電図本のことなどどうでもいいことに思われてきました。レジにいき、さっそく購入しました。家に帰ってからゆっくり読み返しました。
 
(つづく)